院長プロフィール  

【サイクル整体院】

 院長 川又 周一 

(かわまた しゅういち)

 

 【生年月日】

・昭和47年2月2日

【出身地】

・愛媛県 西条市 三芳

整体歴は、17年目になります。

 (令和5年現在)

 

【自由と平和主義】

・好きな言葉:生きてるだけでまる儲け。

(さんまさんの格言ですね。)

 

趣味:登山・合気道・柔軟体操・筋トレ・読書・ドライブ・映画鑑賞・旅行

 【院長プロフィール】

 ・若い頃は空手を習っており、

その時の無理な運動で、腰を痛めてしまい腰椎椎間板ヘルニア」の手術をするという辛い経験をしました。

 

・手術後も、たびたび腰痛に悩まされる日々を過ごしながらも、自分で「体操」や「運動」の仕方を勉強しながら、少しずつ腰の調子も良くなってきました。

 

そして整体の仕事に興味を持ち、30代の時に今治市の整骨院に就職しました。

整体師の職業についてからは更に、体のことを勉強して健康に関する知識も増え、腰の調子も良くなっています。

 

平成26年9月に、独立開業!

開業後も、整体技術のレベルアップのために、「整体講習会」「古武術の体の使い方」セミナーなどに参加しながら日々、知識や技術を高める努力をしています。

 

当院でよく使う手技療法は、「ほぐし」「神経療法」になります。

「神経療法」は【小波津式神経筋無痛療法】と言う、高度な手技療法で、

このを技術を学んでからは、他の整体院や病院などでも改善できなかった方が、当院の施術で改善することも少しずつ増えてきました。

※すべての症状が当院の施術で改善する訳ではありません。

 

当院では、「体操の仕方」「身体の使い方」「食事の改善」の指導にも力を入れており、患者様が、「自分で自分の身体を治せる様になる」ことを目指しております。

 

・今現在、体調不良で「整体院」をお探しの方は、

「どこに行けばいいのか?」

「どんな治療が自分の症状にあっているのか?」

が、分からずお悩みの事だと思います。

 

・私自身も同じ悩みを経験し、

その後、「整体」の施術を受けることや、「体操」、「体の使い方」を学ぶことで、「腰痛」を克服しました。

 

今現在、様々な症状でお悩みの方も、

当院の「整体施術」プラス「体操」「体の使い方」「食事」の指導を受けて根本治癒を目指しませんか?


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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番外編【院長プロフィール】

 

ここから先は、院長の性格や、整体という職業に行きついた、経由などを紹介したいと思います。(^^)

 

まだ、書いてる途中で、空いた時間に少しずつ更新しています。

たいした事は書いていませんが、興味のある方はお暇な時にお読みください。(^^)

 

【院長の性格】

 

 

子供の頃は、人見知りが激しく、引っ込み思案な性格だったと思います。

 

 

保育園に初めて通いだした時も、最初は通うのが嫌で、馴れるのに時間がかかりました。

 

少しずつ友達も出来、保育園に通うのも少しは馴れては、きましたが、

正直、毎日、保育園に通うのは、面倒くさいと感じていた様です。

 

今思えば、自分が行きたいと思った時だけ行って、行きたくない時は、自分の好きなことをしたいと思ってたのではないでしょうか。

 

みんなでNHKの「おかあさんといっしょ」を見ながら踊る時間なども、踊るのが嫌でじっとしていて、先生に「周一君もみんなと一緒に踊りましょうねと言われても

 

「なんで、こんなガキみたいなことをしなきゃいけないんだ」と思っていました。

『自分もガキのくせに可愛くない子供ですね()

 

今思えば、みんなと一緒に踊ったら、楽しかったかも知れません。

でも、その時は踊れと言われて、強制的に踊るのが嫌だったのです。

 

今でも 自由でありたい とは常に思っていて、その為に毎日、仕事を頑張っている感じです。

 

【小学生時代の想い出】

 

小学生の時の思い出は、もちろん良いことも有れば、嫌なことも有りましたが、相変わらず人見知りの激しい子供でした。

 

休み時間などは、友達と元気に遊んでいましたが、授業中などに先生に質問されると緊張してしまう感じでした。

 

低学年の頃、読書感想文を書く授業で、私の書いた作文がクラスの代表に選ばれたことがありました。

 

これに選ばれると後日、全校生徒の前で自分で書いた作文を読まなくてはならないので、凄く気が重くなり、

「○○ちゃんの作文の方が良かったから○○ちゃんにしようよ。」とアピールしましたが通りませんでした。

 

全校生徒の前で読む前に、クラスの前で読んで練習しておきましょうという事になり、クラスの前では、難なく読めそうだったのですが、

これを読むと全校生徒の前で読むのが確定になると思ったので、最後のワルあがきで、半分演技、半分本気で泣いてみました。

 

※(そうすれば先生が、「周一ちゃんには無理だから他の人に変えましょう。」と言ってくれると思ったのです。)

 

なのになぜか、みんなから「周一ちゃん頑張って~」という声援になってしまい、観念して読み終わったら、先生やクラスのみんなが誉めてくれたので、それからは逆に、全校生徒の前で読む日が、楽しみになってきました。

 

本番当日は、あれほど嫌がっていたのが嘘のように、落ち着いて作文を読むことが出来ました。

 

自分が読む作文を全校生徒が黙ってこちらを向いて聞いてくれるのが面白く、出来るだけ長く読んでいたいので、一行、読むたびにみんなを見渡しながら、ゆっくりゆっくり読みました。

 

読み終わって自分のクラスの座る所にもどる途中、先生が泣きながら「よく頑張りましたね!」と誉めてくれました。

 

私は褒められて伸びるタイプのようですね。()

 

褒めすぎると、怠けて伸びなくなると言う人もいますが、私はそうは思いません。

 

褒められると、もっと頑張りたくなるのが人間です。

悪い所を治そうとして、そこに集中してしまうと更に、その問題が大きくなることがあります。

 

人間の身体に例えると、せっかくカサブタが出来かけた傷口を剥がすようなものです。

 

悪い所はほっといて(そもそも悪い所は存在しません、自分が悪いと思った瞬間に悪くなるのです。)良い所に集中して、良いところを伸ばせば、自然に悪い所は目立たなくなります。

 

人生は短いです。嫌なこと我慢してやっている時間はありません。

 

嫌なことを我慢してやっていると身体をこわします、身体は正直なのです。

 

自分が好きなこと、得意なこと、ワクワクすることに集中して生きましょう。

 

私も、イライラするすることや、面倒臭いと思うこともありますが、自分が好きで、やりたいと思ったことの為なら頑張れます。

 

 

 もう一つ、小学校の時の嬉しかった思い出と言えば。

 

何かの行事で、お弁当を持ってくる日があって、クラスの男子、何人かで集まって、お弁当を食べようとしていた時の事。

 

私は、普段の給食より楽しくてウキウキしすぎたのか、友人と向かい合って嬉しそうに、お弁当のフタを開けていたら、勢いあまって、お弁当を真っ逆さまに落としてしまいました。

 

私はビックリして一瞬、泣きそうになりましたが「今日は昼飯ぬきでいいや。」と言いながら、落ちたお弁当をナイロン袋に入れて、片付けていました。

 

一緒に食べていた友人たちは、「あ~ぁ可哀想に。」とか、「バカだな~ぁ」などと言っていましたが、そのうち友人の一人が、「これ、あげる。」と言って私の空になった弁当箱に、おかずを一品入れてくれました。

 

そしたら他の友人が、「僕はおにぎり、あげる。」と言って、おにぎりを一つ入れてくれました。そのうちに、皆が、「僕はこれあげる。」、「俺はこれ、あげるよ。」と言ってくれて、空だった弁当箱は、ご飯とおかずで、いっぱいになりました。

 

結果的に、「周一ちゃんの弁当が一番豪華に、なったね!」と皆で笑いました。

 

私は弁当箱に、ご飯やおかずを一品入れてくれるたびに、「ありがとう。」「ありがとう。」と言って凄く嬉しい気分になりました。

 

何気ないエピソードかも知れませんが、「友達って、いいな。」と思った瞬間でした。

 

私も、大きなことは出来ませんが、こう言う、小さな気配り、心配りが、出来る様に、心掛けたいと思います。

 

 

【中学・高校時代】

 

中学生時代も相変わらず地味で大人しい学生でした。

勉強も部活も頑張らず、のらりくらりと生活していました。

 

その頃の私のヒーローは、テレビの映画で見た、アクションスターのジャッキーチェンでした。

 

(男の子ですから当然、強い男には憧れると思いますが、私は体も小さい方で、気も小さかったので、人一倍、強くなりたいという思いがありました。)

 

ジャッキーチェンのまねをして、筋トレバク転の練習をして遊んでいた、ありがちな、変わった子供でした。

 

高校も特別、行きたいとは思いませんでしたが、高校くらいは出ておけと言われて地元の高校に行きました。

 

部活も、空手部かボクシング部でもあれば、入りたいと思いましたが、なかったので、友人が入った弓道部に興味もないのに入りました。

 

【衝撃『空手バカ一代』との出会い】

 

高校一年の夏休みになると、弓道部の合宿がありました。その合宿中の食事は、近くの食堂で食べます。

 

その食堂に、置いてあった漫画の中から「空手バカ一代」という漫画をとりだし何となく読んでいました。

 

どうせくだらない漫画だろうとバカにして読んでいたのですが、あるページをめくり、書いてあった言葉を見た時に衝撃が走りました。

 

「この男は実在する。」

 

この男とは、極真空手の創始者、「大山倍達」でした。

私は、こんな強い人が本当にいるのかと思い、極真空手を習いたいと思うようになりました。

 

 それからしばらくして、家から一番近い極真空手の道場を見つけて、通うことになりました。

 

最初見学に行った時は漫画で見た、激しく、荒々しいイメージで、道場に行ったのですが、行ってみると思っていた様な荒々しさは無く、礼儀正しく、淡々と進んでいく感じの練習風景でした。

 

いなか道場と言うこともあり、子供から大人まで一緒に和気あいあいとした雰囲気の中、礼儀正しく、真剣に、皆が汗を流していました。

 

今まで、勉強も部活も真剣にやった事がなかった私ですが、極真空手の道場通いは、楽しくて仕方がないと言う感じでした。

 

組手の練習などは、緊張しますし、痛いし、苦しいですが、それ以上に、頑張った後の、達成感と、自分が強くなっていく感じが気持ち良かったです。

 

就職先を決める時も、体力づくりもかねて、肉体労働の仕事を探して、大工の仕事に就きました。

 

その頃は一日中、頭の中は、空手のことばかり考えていて、仕事中、カナヅチを振る時も、空手の突きが強くなるイメージで叩いたり、資材を運ぶ時も、人が一つづつ運んでいたら、自分は二つづつ運んでやろうという気持ちで働いていました。

 

こうした、職場と空手道場と家との往復の日々が数年続き、日に日に空手への思いも強くなり、その頃、憧れていた緑健児と言う選手がいる、東京の道場に移り本格的に空手の修行をしてみたいと思うようになっていたのでした。

 

 

【腰椎椎間板ヘルニアになり手術】

 

いま思えば、建設現場での肉体労働、それが終わると、空手の練習とで、もともと頑丈だったわけでもない身体には相当、負担がかかっていたのだと思います。

 

腰のヘルニアに、気付く前から腰の痛みはあったのですが、まさか自分が腰痛になるなど夢にも思わず、これは筋肉痛のひどいやつで強くなっているしょうこだと、勝手に思い込んでいました。

 

毎日、腰が痛いとは思いながらも、いずれ治るだろうと思いながら空手を続けていたのですが、ある時の練習終わりに、道場の後輩たちと、ふざけて遊んでいるて宙返りをした時、腰に激痛が走りました。

 

これは、ただ事ではないと、翌日病院に行って注射を打たれましたが、ぜんぜん治りません。

 

 

その後、病院では電気治療と牽引と痛み止めのクスリが出されましたが、

一週間たっても、二週間たっても治りません。

 

 

一ヶ月くらいたって大きな病院で検査となりました。

検査の結果、腰椎椎間板ヘルニアと診断され、しばらく様子を見ようという事になりました。

 

医師からは、安静にしながら様子を見ようという事でしたが、空手も、組手などは出来ませんが、腕の筋トレなど出来る範囲でやっていました。

 

安静にして治療に専念したほうが良かったのですが、その時は、少しでも筋力が落ちるのを防ぎたかったのです。

 

その後も、いっこうに良くならず医師からは手術を進められましたが、手術をするともう、空手などの激しい運動は出来なくなる可能性があるので、もうしばらく様子を見ることにしました。

 

しかし、次第に歩いたり、椅子から立ったり座ったりするだけでも激痛が走る様になり、とうとう観念して手術をすることにしました。

 

今思えば整体院などの施術で、手術しなくても治ったかもしれないし、手術しなければ治らなかったかもしれませんが、結果的に手術をしたのですから、手術して良かったと思ったほうが幸せです。

 

実際に、椎間板ヘルニアと診断された人の中で手術した方が、いい割合は5%前後だと言われています。

 

最近では、椎間板ヘルニアと腰痛とは関係ないと言う、考え方が主流になってきているようです。

 

腰痛の人に、椎間板ヘルニアがある人が多いのは確かだとは思いますが、椎間板ヘルニアがあっても腰に痛みが出ない人も多いのです。

 

私も、なるべく手術はオススメしません。

 

 

【手術後】

 

手術後も、手術による痛みもしばらくは、ありますしヘルニアによる痛みも、すぐには消えませんでしたが、リハビリをしていくなかで少しずつ痛みが減っていきました。

 

退院してからも近くの病院でリハビリしたり、自分で万歩計をつけて歩いたりしていました。

 

普通に歩くのは、大丈夫なのですが、ちょっとした段差などにつまずいた時などには、まだ、腰に激痛が走っていました。

 

少しずつ、歩く距離を延ばしていき、段差などにつまずいても、あまり激痛がしなくなったので、走るリハビリも始めました。

 

その頃には、仕事にも行けるようになりましたが、大工などの肉体労働は、まだ無理だったので、居酒屋のバイトなどをしていました。

 

もともと空手の体力づくりのために肉体労働の仕事を選んだだけで、大工さんになりたかった訳ではなかったので、その頃は、腰に余り負担がかからない仕事なら何でも良かった感じです。

 

空手が、また出来る様になるかは分からなかったのですが、出来ることから始めようと毎日、軽い筋トレと10キロのジョギングをしてから居酒屋のバイトに行っていました。

 

術後1年くらいして、久しぶりに道場に顔を出し組手をやってみました、軽くなら大丈夫なのですが、思いっきりやると腰に痛みが出ました。組手は、まだ早いので、筋トレとジョギングと軽めのサンドバッグをしていました。

 

その後も、何度か空手が出来る様になるか、挑戦してみましたが、思いっきり腰の痛みを気にせず、空手の組手が出来る様にはなりませんでした。

 

結果的には、空手はやめてしまったのですが、かなり長い間、空手への想いは消えず、術後10年くらいたって、もしかしたら今なら思いっきり組手をしても大丈夫なのではないかと思い挑戦してみましたが、やはり思いっきり組手をするなど、無理をすると腰に痛みが出ました。

 

院長プロフィール 写真 

術後も、鍛え治して、人間鯉のぼりが出来るくらいは、回復しました。(^^)

 

(写真は20年くらい前なので、今はできないかも(笑))

 

職を転々とする。

 

無理をすると痛みが出るとはいえ、空手の様な激しい運動が出来ないだけで、普段の生活には何の問題もなく、仕事も肉体労働なども出来る様になっていました。

 

もともと、なりたい職業も無く、若いうちは空手に燃えて生きようと思っていたので、怪我により空手という目標を失ってからは、自分が何をやりたいのか、どんな職業が向いているのか分からず、職を転々とする日々が続きました。

 

居酒屋などの調理の仕事、工場内の流れ作業、引越作業、土木作業、コンビニの店員、などなど、体を使った仕事が多かったと思います。

イスに座ってする仕事は、したことがありません。

 

飛び込み営業の仕事も、したことありますが、一日で辞めました。(^^)

 

いろいろ、やってみた中で私には料理人の様な、自分の頭と体を使い、創意工夫をしながら腕を上げていき、自分自身も成長出来る職人さんの様な仕事が向いていると思う様になりました。

 

そういう意味では、空手も、料理人も、整体師も似ていると言えます。

 

いずれは、雇われではなく、独立できる職が良かったので、一時は、料理人になろうと思った事も有りましたが、そこまで料理には、興味が湧きませんでした。

 

その頃は、自分が整体師を志すとは夢にも思っていませんでした。

 

整体の職に就く

 

自分が、どんな仕事がしたいのか分からないまま、職を転々としながら数年たった後、ハローワークで整体の仕事を見つけました。

 

それまで何度となくハローワークには行っていたのですが、不思議と整体の募集は目につきませんでした。

 

整体院、整骨院などの募集は、医療のコーナーを見ないと出ていないので、医療=お医者さん。と思っていた私は、最初から医療コーナーは見てなかったからです。

 

たまたま、他のコーナーに紛れ込んでいた、整体院や整骨院を経営している会社の募集が目にとまり、

 

読んで見ると、経験や資格がない人でも、働きながら経験を積み資格もとれる。と書いてあり、何か手に職をつけたいと思っていた自分にはピッタリだなと思い、

 

後日、面接を受けに行き、今までとは違う、仕事に対する、やりがい希望を感じました。

 

めでたく面接に受かり、整体の仕事をしだしてからは、

「自分はどんな仕事をすればいいのか?」という迷いは無くなり、ここで経験を積み、何年かしたら独立して、

 

「整体の仕事を一生の仕事にしたい」と思う様になりました。

 

今思えば、自分の性格や、空手を習い、怪我をして腰痛に悩まされた事も、すべては整体の仕事につながっていて、

 

もし、空手を習っていなければ、怪我をして腰痛になることもなかったかも知れませんが、怪我をしていなかったら、整体の仕事もしていなかったかも知れません。

 

そう考えると、辛かった経験も役に立ち、無駄なことなど無かったのだなと思います。

 

空手を頑張っていたのに、怪我で空手が出来なくなったことは、辛い思い出ですが、その分、同じ様に身体の不調で困っている方の気持ちもよく分かるので、

 

自分で身体の治し方を勉強し、患者さんのお役に立てる事ができる様になれば、怪我をした事も、悪いことばかりでは無かったと言えるようになるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

続く